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スバリストの人、マニアックな人には良いかもしれません
バイアスがかかりまくった評論ですが、お気軽にご覧下さい
土地家屋調査士村岡事務所
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趣味の『バイアス評論家』所長


 ラーメン評論家

 ■2005.12/5 私のラーメン論(なんつっ亭)
 ■2006.7/28 ↑こんなこと書いてたら、有名ラーメン店から測量依頼が来ちゃた!(笑)
 ■つけそば 麺楽(青梅市)
 ■中華そば 青葉(中野区)
 ■蒙古タン麺 中本(吉祥寺)
 ■大喜(文京区)
 ■深大寺そば多聞(調布市)地元のおまけネタ


 自動車評論家(スバル車専門)

私の趣味でこんな事してみました。
私は結構車好きです。サイト内の自己紹介の中にあるとおり、スバリストなのかもしれませんが、
どういうわけかスバル車がほとんどなのです。

 車好きの割には経済的な問題もあって、免許を取ったのは意外にも19歳の時でしたが、
そんな私の自動車遍(変)歴はスバルレオーネエステートバン4WDには始まり
スバルR2カスタムL→トヨタスプリンター1600SR→トヨタセリカXX2000G→日産バネットラルゴ→
スバルレックススバルアルシオーネVRターボスバルレガシィワゴン初代
スバルレガシィワゴン4代目といった感じ、貧乏なものだから、平成12年式のレガシィ以外は見事に全部中古車!しかもタダ同然の価格で譲ってもらったり、解体屋さんから買った『大古車モノ』も数多く
あります。
意外にも自動車というのは、中古車・大古車から学ぶものも多いです。
特に、故障体験というのは、そのメーカーの持っている本質が垣間見える気がいたします。


 ■平成24年式 スバルXV(試乗感想)
 ■平成24年式 スバルBRZ(試乗感想)
 ■平成23年   スバルアイサイト(試乗体験)
 ■平成21年式 スバルポルシェ?スーパーチャージャー4WD
 ■平成22年   スバルビジターセンター訪問記(おまけ)
 ■平成20年式 スバルエクシーガ(試乗感想)
 ■昭和47年式、昭和49年式スバルレオーネエステートバン4WD A64
 ■昭和47年式 スバルR2カスタムL
 ■昭和62年式 スバルアルシオーネ1800VRターボ
 ■昭和54年式 スズキRG250E(おまけ)



 映画評論家?(日本ミリタリー専門)→日本が登場する戦争映画専門

 
■男たちの大和
 ■兵隊やくざシリーズ
 ■スペースバトルシップヤマト(おまけ)
 ■映画 聨合艦隊司令長官 山本五十六(役所広司主演作品)

 以下の更新はいつになるか・・・不明ですが、個人的にお薦めなのは『キスカ』です。
 コッテコッテの演出ですが実話でもあり、経営に疲れた時にふと観たくなる日本ミリタリーです。

 ■太陽の帝國人間の条件■連合艦隊■太平洋の嵐■大日本帝國■トラ・トラ・トラ
 ■ゆきゆきて神軍■二百三高地■八甲田山■戦場にかける橋■戦場にかける橋2■キスカ
 ■2.26■日本の一番長い日■パールハーバー■ミッドウェイ■英霊達の応援歌■君を忘れない
 ■アナザーウェイD機関情報■戦場のメリークリスマス■1941■動乱■南十字星




■昭和47年式、昭和49年式スバルレオーネエステートバン4WD A64




昨日、日本初開催の世界ラリー選手権(WRC)”ラリージャパン”が
日本のワークスチーム「スバル」の優勝で閉幕しました。

 F1はフォミュラーカーが世界のサーキットでの世界最速を競うモータースポーツで
WRCは市販車が世界の公道での世界最速を競うと言われるモータスポーツですが、
このWRC正式イベント初開催の日本で地元の自動車メーカが優勝した事は、
私もスバル車に乗っているせいか、うれしく感じました。

 私の生家は富士重工の三鷹工場が近く、同社の社員寮もあったためかスバル車が
よく走っていましたが、当時子供の目からは魅力的な車とは正直いいがたかった・・・

 同じクーペでもマツダのサバンナクーペとレオーネクーペは別モノみたいに見えたものです。
当時のレオーネクーペはやたら車高が高く、ノーズが長いくせにリヤはフンずまりで、

「なんてカッコの悪い車なんだ」と思ったものでした。

 現在の自動車評論家達が『インプレッサWRXの祖先』なんて持ち上げているけど、

声を大にして言いたい、「んなわけないでしょ!」

 しかしちょうどこの頃からスバルは世界初の乗用4WD車を販売したりして、他社とは違う路線を
展開しはじめていたのでした、実はこの乗用4WD第1号の『レオーネエステートバン4WD』こそ
我家の記念すべき新車第1号になったのでした。

さんざん馬鹿にしていた車種があろうことか自家用車だなんて・・・

 当時はどうしてスカイラインとか、せめてブルーバードにしてくれればいいのに
と親を恨んだものでした、近所の友達の家がケンメリ買ったのがうらやましかった。
                         
 我が家の昭和47年式のレオーネエステートバン4WDは軍用車のようなモスグリーン色で
シロクマ君みたいなずんぐりむっくりのスタイルだった・・・
レオーネ=雄ライオンなんてイメージはとても、とても・・・
けれども、父親からこの車の特性を聞かされるうちに、だんだん誇らしくなってきて
「4輪駆動(4WD)だぜ!車輪全部回転するんだぜ」なんて学校で友達に自慢するようになりました。

 当時子供達の間では、スカイラインGTR、フェアレディ240ZG、432Z、トヨタ2000GT、セリカGTV
というのが定番の人気車でしたので、学校では表面上は2000GTファンを装いながら、
ひそかに独りレオーネを応援する”変わった子”でした
下校途中の図書館で高価で子供が買えない「モーターマガジン」をこっそり覗き、
レオーネが国内ラリーで時々入賞する小さい記事を探して喜んでいたものです。
あれから30年・・・世界の乗用4WDの頂点に君臨するメーカーになり
「ほら、ど〜だ〜」と思ったりもしている今日このごろです。


 ↑小学生の夏休みのある日私が撮った一枚、所員達を乗せ事務所から測量現場にむかうところ
 自宅から事務所を眺められた当時、私は活気のあるこんなシーンが好きだった・・・
 やっぱりレオーネにゃあ『測量ポール』が良く似合う♪



当時我が事務所は景気が良かったのかマイナーチェンジ後の4WDエステートバンも所有していた。
個人的にはマイナーチェンジ後の方が好きですね。(下の写真)↓
私が二十歳頃測量現場での撮影、『自家用』の文字が泣かせる。
変更点はリアゲートが2分割式から一枚ものに変わったところ。
それぞれに同時に2台所有していたので、どちらも一長一短で面白かったですね。

うしろのガラスに『4輪駆動車』というステッカーが誇らしげに貼ってあるのも時代を感じますね。






ビンボー神のニクイ奴・・スバルR2カスタムLの巻


この車はある日突然我家にやってきた。

実はこの車は、当時父の取引先の土建業の現場監督の奥様用サンダル車だったのだが、

この現場監督さんが若気の至りなのか、どうも職人さん達とウマがあわなかったらしい。

そんなある日、職人さん達だけで飲んでいるとき、酒の勢いで

「あの生意気な現場監督のスバル、ボコボコに潰したろか!」
と盛り上がり(群集心理ってコワイなぁ〜)

まだ程度のよい車だったらしいのだが、無残にもボコボコにされ、

資材置場の片隅に数年放置されていたらしい。

それを親父が不憫に思って無償で引き取ってきたのだった。

 当時私は測量専門学校の学生の身でしたが、自分の車としてあてがわれたので修理というか、

レストアに近い事をする羽目になってしまった。だが当時すでに『旧車』であったので以外と

女の子達から『カワイイ車』とウケるかも・・という淡い期待もあった。しかし不動の旧車・・

いわば一度死んだ車をもう一度蘇らせるレストア=ゾンビ計画に、当時19歳の私はどれほど労力と

費用がかかるのか知るよしもなかった。

ところでこのカスタムLというグレードはスバルR2シリーズ中最上級グレードなのである。

シリーズ初の水冷エンジンも搭載したモデルでもあり、出力も32馬力をマークし加速もそんなに

悪くない。むしろ2サイクルエンジンのピーキーさが味わえて、走り自体はとても楽しい車だった。

しかし、本来かわいい顔が『売り』の車なのに、ラジエータ設置でフロントグリルがついてしまい、

下の↓写真のとおり憎ったらしいブサイクな顔になってしまっていた。 

(ほんとにスバルはデザインがなっとらん)


 不動車をゾンビ化するにはある程度の出費の覚悟はしていたが・・

それにしてもコイツはよく壊れてくれた。

キャブのオーバーホール、ガソリンタンク洗浄、ストレーナー交換、

エンジン焼付きでピストンリング交換、エンジンマウント交換、

ラジエーターサーモスタット交換、マフラー交換、バッテリー交換、

デスビ交換さらには板金塗装オールペンetc・・・・

修理工場と自宅を行ったりきたりで、バイト代をつぎ込んでコツコツとよくもまぁ直したものです。

結果として元々ビンボー学生だからタダでもらったのに、この2年間で

さらにビンボーになってしまったのだった。(まっ・・そのおかげでメカには多少強くなりましたけどね)


さてこの車とお別れをする事になったきっかけは真冬の雪の中環八でオーバーヒートした事です。

いくらサーモスタット不良でもこんな寒い雪の中でオーバーヒートなんて・・・

温厚な私もさすがキレたからです。

雪の舞う空を見上げ寒さにふるえながらこの2年間の修理歴が走馬灯のように思い出されました・・・



当初の予想に反してギャル達から『かわいい車』という支持も得られなかったなぁ・・・
                   
毎月かかる修理代・・・仲良くなったのはギャルじゃなく修理工場の社長さんだし・・トホホ・・
                   ↓
夏はエアコンも無く・・・

ギャル達は当然乗車拒否!寄ってくるのは

旧車マニアのオッサンばかりだし・・・

               
 

寒い雪の中でオーバーヒートなんて空冷のバイク以下の状態
あ〜まただれか引っ張ってくれる友達呼ばなきゃ・・・友達へらすなぁこりゃあ
                    

「結局この車私にとってただのビンボー神じゃないのか・・・」

という結論に相成り、就職したのをきっかけに親父の事務所の外回り車に転用したのでした。
(だけど、当時は女の子に飢えていたのねぇ・・・)

 しかしこの時の教訓が生かされず<この十数年後またまた

ポンコツのアルシオーネを引き取ってくるという大失態を繰り返す私なのであった。


 ↓↓↓↓↓↓この車の末期の状態を示す写真がコレ・・・↓↓↓↓↓↓

        

 あれだけ私がバイトの金を投入し手間ヒマかけてれストアしたR2も父の事務員がブロック塀に

ブツけて、このように結局もとのボコボコの不動車に戻ってこの世を逝ってしまったのでした。
 
 酔っ払い達にボコボコにされ一度は廃車になり、その後物好きな私の親父に拾われて

ゾンビのように生き返り、大の男4人を載せて東北自動車道を100キロ近いスピードで日光まで

ノンストップで走るまでに回復するもまたまたボコボコになるという、

私の自動車史の中でも最も数奇な運命をたどった車であった。





■昭和62年式スバルアルシオーネ1800VRターボ

今回はスバルアルシオーネVRターボという車を語ってみましょうかねぇ・・・↓

 この車がこの世に出たのは確か昭和60年頃だと記憶している。

第一印象は「なんてカッコいい車なんだ!」思ったものである。

その頃から「いつかはアルシオーネ」と心に誓ったのだった。

 しかし発売当初からこの車に対する世間の評価は酷評が大半であった。

自動車雑誌の中にはサバンナRX7のライバルなんて持ち上げている評論家もいるにはいたが、

発売されるやいなやRX7に乗っている友人から

「なにぃ・・セブンのライバルだぁ?おいおい冗談は顔だけにしろ!」
の雨あられ・・・

 それもそのはず結局レオーネのシャーシにリトラクタブルヘッドライトの車体をのっけただけで

本当に言い尽くされた「羊の皮をかぶったヤギ」と評されても仕方ないのかもしれない。

 しかし、私はこの車が大好きでなのである。

一番良いところは、スペックはさておいて、スポーツモデルとしての市販車に限定した場合、

ビジュアル的にここまでおもいきったデザインの車は2度と発売される事はないであろう。

富士重工は飛行機屋であるという自社の技術を全面に打ち出し、

車体の空気抵抗国産トップをめざして車体をまさしくクサビ型にしてしまったのだ。

 この他の国産メーカーと「かけ離れた自動車感」というか技術至上主義からくるこだわりは、

なんとドアノブまで空気抵抗低減のため蓋付きに平面にして埋め込んでしまうまでの凝りようなのだ。

その結果、蓋で閉じられているドアノブの掴み方を知らず、初めてのアルシオーネに出会う人は

「この車どうやって乗るの?」とドアの前で呆然と立ちつくしてしまうのであった。
(そっ・・そんな国産車って他にあります?)

 驚くのはそれだけではない、運転席に座ってみると、なんとハンドルのスポーク部分『F』の形をした

ハンドルなのだ、実はこれ富士重工の頭文字『F』を主張しているらしいのだが・・・
(なっ何の意味があるのか・・?)

さらにインパネまわりは飛行機の操縦席を彷彿させるつくりになっており、スイッチ類はシンメトリー

に操縦桿の形をしたパネルに意思あるかのように突起して設置してある。


一言で言ってしまうと、宇宙戦艦ヤマトの操縦席の実物大のプラモデルといったイメージかな。

しかも、私のアルシオーネはデジタルメータだったから、

そりゃあもう気分はヤマトの古代進ですよ

つい「波動砲発射ぁ〜!」とか「ブラックタイガー発進!」とばかりにアクセルを踏めば、

目盛の無いブースト計(笑)と称するデシタルパネルが一気に光線を発して、

メーター内に描かれいるアルシオーネが滑走路からテイクオフするような演出になっているのだ!

このデザイン今から冷静に考えると、けっこうキテますよね・・・(笑)

(私はとっても好きだったけどね)

 しかし他のメーカーはリスクを背負ってまで、ここまでの思い切ったデザインの車を作れるだろうか
(まぁ、比較できるのはようやく最近になって発表されたトヨタのウィルサイファぐらいでしょ?)

いや、もしかしたらスバルの開発スタッフは絶大な支持を得られると信じて疑わなかったのか

も知れない、それはそれで、ある意味すんごい事なんだけど・・・

でもスバルのそういう無骨な技術バカというか技術至上主義に惹かれてしまうのです。

さて、私のアルシオーネはカーセンサーで見つけて埼玉の自動車解体屋さんから買ったのです。

価格はなんと車体価格9.8万円諸費用込みでも20万円前後だったかな。

 実はこの頃は事務所も軌道に乗りかけた頃だったので、自分へのご褒美の意味もあったのです。

「もう先生なんだからそんなポンコツ車なんかやめたら」と色々な人に言われたけれど、

若い頃の熱い思い入れがあって、自分の物になった時は本当にうれしかった。


 しかしこの車は自動車解体屋で売っていただけに、いわば棺おけに片足突っ込んでいる車であり、

当然ながら購入にはそれなりの覚悟をしての購入であったが、10数年前に『ゾンビ化した』スバルR2

の『トラブル地獄』の二の舞いになろうとはこの時は考えもしなかった。

 まずは購入した年の夏休みに久しぶりに妻と伊豆までドライブに行った時の事である。

海水浴場まではなんとか無事に到着できた、駐車場じゃあこのクサビ型のスタイルはひときわ目立つ

若い茶髪のアンチャンが「へんなカッコの車・・」とばかりに眺めていたりして、

ちょっぴり優越感・・・あーやっぱり買ってよかったなーと思ったのも束の間、その帰り道のドライブ

インで缶コーヒー買って車に戻って見ると、なんと老人会とおぼしき観光客の一団が

私のアルシオーネを取り囲んでいるではないか!

中には指をさして何やら真剣に談義をしている御仁もいらっしゃる・・・

うっ!これはもしや珍しいこの『名車』を見て集まってきた人達なのでは・・・

「さすが、人生経験を重ねた方には理解される名車なんだよなぁ」と優越感いっぱいで

「フッ・・・これ私の車なんでちょっといいですか・・・」と人垣をかきわけ中に入ってみたら・・・

ラジエータのドレンボルトが破損していて、馬のオシッコ状態で冷却液が湯気をあげて

ジャー!と漏れており、単にこれに驚いて人垣ができていただけなのであった。

(トホホ・・早くこの場から立ち去りたいよう・・・)

 さらにその年の冬は東京で10年ぶりの大雪だったのだが、そんなある大雪の翌朝の事である。

その日私は横浜に建物調査に行く予定だったのだが、前夜からの大雪で、あちこちで交通機関が

麻痺しているような状態だったので、妻から「危ないから明日に延期したら?」とも言われたのだが、

「何を言ってる!!スバル4WDはこういう時にこそ有効なんだ!!」


とアイスバーンの道路を横浜に向け意気揚揚と出発したのだった。

しかしズルズル・・・ウイーンズルズル・・・ウイーンズルズル・・・とスリップしてしまって4輪駆動

の割りには前に進まないのである(あららっ?これは一体??)しまいには後ろを走っている

スタッドレスタイヤ装備の2WDの軽自動車にクラクション鳴らされる始末(く〜っ・・悲すぃ〜!)

このままでは途中でスタックしそうなので、すごすごと10分程度で家にUターンした。

 結局その日は気分が悪いので建物調査は中止して、スバルのディーラーに持ち込んでみたら・・・

「あーこのアルシオーネはシステム障害で2WD固定にされてますねぇ」

との事だったので見積を頼んだところ、「この車は特殊でしてねぇ、都内ディーラでは2件でしか

修理できません修理代は「まっ軽く30万円ですかねぇ」

ガーン!!

というわけで、この車の本来の実力を知る事無く、この事件後車検切れとともにお別れをして

しまったのでした。しかしチャンスがあったらちゃんとした状態でもう一度乗ってみたい車ではある。

そんな訳で仕方なくアルシオーネからレガシィーに乗り換えたのだが、アルシオーネを廃車にした事を

知った同じ支部の土地家屋調査士の人が「廃車にした今だから言いますけど・・・」と前置きして、

「村岡さんがアルシオーネ買った時『アタマ大丈夫なのかな』と心配しましたよ」だって・・・

おいおい・・そんな事言うなよ・・個人的にはアルシオーネは日本の名車だと今でも思っていますが、

多くの方は『迷車』『珍車』に見えるようですね。





スズキRG250E

               
 高校生の頃、大垂水峠や第3京浜を流していた愛機第1号スズキRG250E

車重126キロ軽量ボディに30馬力の強力なエンジンを積み、峠とゼロヨンでは400ccにひけをとらない

マシンだった、コイツのコンセプトは、まさしく『ゼロ戦』であった。

 しかしこの当時のスズキのマシンは今になってみると「おいおい!?」と思う部分があったなあ、

RZ250が登場するまで、ある意味無敵であったが、貧弱なサスペンションとブレーキに悩まされた、

あとはアイドリングが多少不安定でしたかね、これは当時新車295000円を245000円で買った、

人生最初の自転車以外の新車である。

これから20年間も新車と縁が無い人生になるとは当時想像もつきませんでしたがね。



■男たちの大和

私の女性ファンからプレゼントで『男たちの大和』のDVDをいただいちゃいました。
勿論もう観てはいましたけどね・・・しかしこの映画のCGはちょっと綺麗すぎやしないか・・・
今回の『男たちの大和』も今までの日本の戦争映画の基本どおりの映画である。
だいたい題材からして『大和』なのだ。

「日本の戦艦は大和しか無いと思っている日本人ってかなりいるんだろうなぁ」
なんてつぶやいてしまったのは言うまでもない。

 ところで海軍とりわけ軍艦がメインになる映画では、どうしても『機銃兵』が一番モチーフに
使われる事が多い。多分一番『戦闘』している絵になりやすいのでしょうね。
 
 これは日本映画だけじゃなくて、海外の作品でも同じ事でアメリカ映画の『トラ・トラ・トラ』や
『パールハーバー』でも必死に単装機銃(銃身が一本の一番貧弱な対空砲火)で日本軍機を撃墜する黒人水兵のシーンがよく登場する。

 男達の大和でも主演の中村獅童は古参の機銃兵の役である。
20年以上前の東宝作品『連合艦隊』でもレイテ沖開戦の小沢艦隊の空母瑞鶴の整備員で機銃班
役の長門裕之が必死に25ミリ三連装機銃を打ちつづけ戦死するシーンがある。

 細かい話だが、『連合艦隊』の25ミリ三連装機銃は今回の『男たちの大和』とそれと比べると、
本当にチャチでしたね!まずもって構造面のディテールがなっとらん。

 2人がかりで高低角と水兵角を調整して撃つするはずの三連装機銃が、一人が手を離すと機銃の
銃身が『バッタン』とまるでシーソーのように下に向いてしまうのだ、しかも長門の戦死シーンは
三連装機銃からいつのまにか単装機銃になっている始末。

 史実上ではレイテ沖開戦では囮(おとり)となった空母瑞鶴の戦闘は壮絶を極め、機銃兵は爆撃
で機銃に手だけがもげて残っており、胴体は吹っ飛んでしまったというのは瑞鶴で実際にあった事と
『丸スペシャル』で読んだ事があるが、それを映画の中で紹介しようとしたため、そのような形に
なったのかもしれないが・・・

 映画の本編については、私が感じるのは平成に入ってからの日本が関係する戦争映画と昭和の
それとは確実に変わってきている。

 戦争は悲劇だ、暗く悲しい・・・っとこれは変わらないんだけども、昭和のそれは
『日本は誤った戦争をしたのだから全て戦争は止めましょう、軍隊は暗く、まったく理不尽な組織』
だったのが、平成に入ると、過去の日本は決して悪くもなかった、当時の人達は純粋であり英雄だ
軍人は国民の生命、財産、国家の主権を守るために存在し、各個人レベルでは自分の家族を守る
崇高な意識のもとに戦地に向ったのだ。という感じ

 もうそろそろ過去の戦争について謝ってばかりいる思考回路から脱却しなくては・・
なんて感じが伝わってくる。

 またあんまり暗く重くすると若い世代は誰も観なくなるというのも興業面としてあるのかもしれません
若い世代に人気のある俳優を起用するのもその面も多少あるのでしょう。

 よってかつての『軍人俳優の大御所』永島敏行もこの作品には登場していない。
苗字は同じでも長嶋一茂だもの・・・やはり軍人俳優のブランドは『ナガシマ』なのだろうか。
 
 今後もこのような傾向の日本が登場する戦争映画は増えてくるだろう。
正直に言って、戦争を知らない世代が昭和の戦争映画を作りはじめたのかもしれませんね。
もちろん私も記録でしか戦争は知りませんけれどね・・・

 ああっ!全然映画の内容について語ってませんでしたね、でも日本が関係する戦争映画っていう
のはあまりストーリは関係無いんですね「大和が突っ込むんなら・・オレも突っ込むと決めたんだぁ!」
と、こういう時代背景の人達をどう折り込むかという事ですから、ただ中村獅童ってのは日本兵がよく
似合う俳優ですな・・まぁ軍令部や参謀本部という感じでなくて、野戦の将校とか下士官があってますな。それと反町隆史・・・うーん残念ながら日本の戦争映画向きではないな・・
やっぱり『平成の男顔』なんだね、あと大和艦長の有賀大佐役の奥田瑛二さん、この人も同じだね、

 有賀大佐や伊藤司令長官は実際におられた方だから、マニアは写真や書物で、だいたいこんな
感じだろうなんて勝手に決め込んでますからね、伊藤長官役は渡 哲也さんが演じましたが、
まぁ・・・妥当なところでいいんじゃないですかね、またまた比較すると東宝『連合艦隊』では鶴田浩二
さんでした。

 ところでこの作品の戦闘シーンで目立ったのは、そう・・やっぱり『測量』なんですね。
中村獅童が望遠鏡のような見て「右30度ぉ!仰角60度ぉ!」と叫んでいますが、あれ実は測距儀
(測量機)なんですよ。2つの角度の交点て距離・高度を測るのですが、簡単な構造ですが、結構
精度が良かったりしてね、やはり人間は何をするにもまず測量が基本なんですね。
・・とちょっと強引なまとめだったかな・・




■2005.12.5 私のラーメン論


唐突ですが私はラーメンが好きです。
仕事柄いく先々現場付近の名店には必ず立ち寄ります。
よくテレビで『行列ができる店』を紹介したりしてますよね、
私いつも思うのですが、ラーメン評論家なる人達や番組関係者にひとこと言いたい!

 それは「ラーメンを系統別に大別せよ!」
大別とはトンコツか醤油かという事ではない。
それはスバリ『あっさり系』と『ギトギト系』である。

 私には信じられないのだけど、ギトギト系のラーメンが好きな人が結構いる。
私はギトギト系の店のラーメンはいくら名店でも美味しいと思ったことは一度もない。
まっ、なかには、あっさりもギトギトもどっちもオッケーという方もいるかもしれないけれどもね・・・

 先月こんな私にラーメンに関して珍事があった。
箱根、足柄付近に調査物件が出たので、こっちの方の名店といえば、ラーメン好きなら誰でも知っている
『なんつッ亭』だと思い、調査完了後カーナビに電話番号で入力して出向いたのでした。
約20分前後で到着し「おおっ!以前テレビで見た店舗だ!」と感動して
さっそく中に入って見た、らっ!?
あれっ?あれれれっ!?なんかおかしい・・・
名店の昼時なのになんでこんなにガラガラなのだろう?

 メニューをみたらあっさり系のしょうゆラーメン600円…んっ?
(なんつッ亭って、たしか黒にんにくスープがウリだったよな・・・)
おかしいなと思いつつ、醤油ラーメンをオーダーし、
なにげなくメニューの横の『駐車場の案内図』を見たらなんと
『なんつッ亭』が目印として描かれているではないかっ!

 ようするに『なんつッ亭』は数100メートル先に移転していたのだった・・
よって今私がいるラーメン屋さんは『なんつッ亭』の移転後に営業している

まったくの別のラーメン屋さんだったのである。ガーン!

結局私のカーナビも移転前の『なんつッ亭』を案内してしまったのでした。
しかし時すでに遅し・・もうをオーダーをしてしまった・・

 皆さんは「なぜ最初に店名で気がつかないのか?」とおもうかもしれませんが、
この店の店名は象形文字みたいな字で書いてあって、『ふりがな』もないのである。
これで『なんつッ亭』って読むのかな?と誤認しやすいのである。

 自分の不注意を棚にあげて『ムッカー!』ときていた私は、その店のラーメンを
ガツガツと口に運んだ、当然『なんつッ亭』でもう一食食べる気でいたからだ。

 ところがこの店のラーメンが以外とうまいのである。

まっだからと言って腹の虫が納まるわけでもなく、
さっさと会計を済まして数100メートル先の『なんつッ亭』に向ったのでした。

 さすが、名店である。
すごい行列だ(これこれっ!)と私はさっきのイラ立ちがウソのようにウキウキしていた。

 ようやく自分のラーメンが届いた、これが通称『黒いラーメン』かぁ・・と思い
期待を胸にさっそくいただいた・・・・

 さてお味はと言いますと…美味しかったですよ…たしかにね…でもね…
このラーメン私の中では『ギトギト系』なんです。

 最初に店を間違えた無名のラーメン屋の方が美味しかったような・・・
空腹だったからかなぁ・・・
やっぱりいくら名店でも、「あっさり系」と「ギトギト系」の系統の壁は高いという私の
『ラーメン論』のお話しでした。
ちなみにあっさり党の自分としては『バーミヤンラーメン』ポイント高いですよ。
ああいう、スタンダードの方がごまかしがきかないのではないでしょうかね・・

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